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小さい頃からゲーム大好き 1(閑話)

1980年代から90年代は、それまで存在しなかったデジタルコンテンツが世の中に出回り、大きな進歩がいくつもあった、とても刺激的で楽しい時期でした。
もちろん、2000年代もどんどんグラフィックが向上して、より複雑で広く大きなゲームが発展していったと思いますが、80年代と90年代は、ある意味特別でした。

小学校4年生の頃、塾帰りに初めて入ったゲームセンター。
当時、最先端のデジタルコンテンツに触れる機会は、ゲームセンター以外にありませんでした。秋葉原に行けば、最新のパソコンで動くゲームを見ることもできましたが、小学生にとって秋葉原は遠い地です。

私が小学生の頃に行ったゲームセンターは、世田谷区奥沢にあった、

の3店。友達とママチャリを飛ばして行っていました。もちろん、親には内緒です。
漫画『ハイスコアガール』に出てきた10円ゲーセンは、位置関係からも多分、奥沢のことではないかなと思っています。

小学生にはありがたいことに、奥沢は10円ゲームセンターが3店もある、天国のような街でした。
ガントレット10円、魔界村30円、初代ストリートファイター20円、ペンゴ10円、ディグダグ10円、パックマン10円、フロントライン20円、等々。
10円玉を握りしめ、どれで遊ぶか悩んだものです。

私は、ファミコンを持っていませんでした。
ただゲームは大好きで、ファミコンはダメでも、子ども向けのマイコン(当時はパソコンのことをこう呼んでいました)は、勉強になるかもと買ってもらえました。
「PV-2000 楽がき」。カシオのパソコンで、ドットで絵を描いて、それをBASICで動かせる、今で言うAdobe Animate(旧 Macromedia Flash)のような画期的なパソコンでしたが、いかんせんファミコンに比べて性能も低く、ゲームソフトも数本レベルです。

PV-2000専用のプログラム本を買って、載っているゲームを、同じ楽がきを持っている友人と一緒に一生懸命打ち込んで、遊んでいました。カセットテープ冒頭の録音できない部分(リーダーテープ)にデータを保存してしまい、何度泣いたことか(笑)(※当時はカセットテープに音声でプログラムを保存していました。フロッピーディスク付きのPCもありましたが、小学生にはとても高価でした)

そんな私にとって、ゲームセンターで当時最先端のゲームを友達とプレイできるのは、夢のような時間でした。
表現力、システム、すべてにおいて、家庭用のゲーム機やパソコンでは及びもつかないようなデジタルゲームコンテンツが、ゲームセンターにはたくさんありました。

中学生になると、二子玉川経由のバスで学校に通う関係で、二子玉川の

といったゲームセンターに行くようになります。
渋谷の渋谷会館へも足を伸ばすようになりました。もちろん、奥沢にもバスでよく行っていました。

ゲームインたまがわ、略して「インたま」は、狭くて暗くて汚い、地下1階・地上3階のゲームセンター。入ると、タバコと電子臭とアドレナリンの臭いがする、昔懐かしいゲームセンターです。ただ、店主のセンスが良いのか、最新の人気ゲームが必ず入荷します。

お金がなくても、ゲーム画面を見るために学校や部活帰りにふらりと寄って、最新のデジタルコンテンツに触れられる。私にとっては、ふと一息つける場所でした。
今、二子玉川は街の形ごと変わり、当時の光景は見る影もなくなってしまいました。なんだか心にぽっかりと穴が空いたように感じます。

時々、駅前から、当時の街の景色を思い浮かべます。
多摩川園行きのバス停までの道にあったインたまに、当時の同級生たちと行けたらなぁ、なんて思いながら。

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